

おかげさまでキング醸造は今年、創業125周年を迎えることができました。
長きにわたりご愛顧いただいた皆さまへの感謝の気持ちを込めて、
「日の出商品と想い出エピソード」を募集したところ、
非常にたくさんの心温まる物語をお寄せいただきました。
その中から選ばれた20作品を水元さきのさんのイラストでご紹介いたします。
イラストレーション
水元さきのさん

1995年 東京都墨田区出身
柔らかな線と彩色で日常のシーンを描く。書籍や雑誌、広告などのイラストを手掛けている。
主な挿絵作品に『早期始発の殺風景』(集英社)、『わたしの気になるあの子』(ポプラ社)、『なんでもない一日の辞典』(WAVE 出版)などがある。

古川慎さんのナレーションで、3話 配信中!

ナレーション|古川慎さん
『ワンパンマン』のサイタマ役や、『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛 頭脳戦~』の白銀御行役など、人気作品のキャラクターを多く演じている人気声優 古川慎さんに、期間限定でエピソードを読んでいただきました。
古川慎さん Profile
生年月日:1989年9月29日
出身地:熊本県
公式 HP:https://www.toysfactory.co.jp/artist/makotofurukawa/
- TVアニメ「ワンマンパン」サイタマ役、「機動戦士ガンダム 水星の魔女」シャディク・ゼネリ役、「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」白銀御行役、「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚」志々雄真実役、「転生したらスライムだった件」ベニマル役、ゲーム「Fate/Grand Order」アキレウス役、「刀剣乱舞ONLINE」大倶利伽羅役など、数多くの作品に出演中。
- 第十四回 声優アワード助演男優賞を受賞。
受賞エピソード

野球部弁当と日の出みりん
野球少年の母さん


ナレーション
古川 慎さん
お母さんもう俺に話しかけてこないで。
春、反抗期まっさかりの息子が高校の野球部に入った。帰宅は毎晩22時すぎ。泥だらけのユニフォームと一緒に、疲れ切った顔で「飯ある?」ってぼそっと聞く。部屋は散らかし放題、忘れ物も日常茶飯事。つい「部屋を綺麗にしてよ!ちゃんとしなさいよ!」って声を荒げてしまう。
それでも毎朝5時半、土日祝日もお弁当を作る。栄養を気にして入れたミニトマトは「ぬるいからやめて」。注文は一人前だ。
ある日、日の出みりんで照りをつけた甘めの鶏の照り焼きを入れてみた。カリッと焼けた皮の食感がよくて、少しだけ自信があったけど、また何か言ってくるかな?。
「今日の、うまかった。あれ、また入れて」
冷蔵庫を開けながら、ぽそっと。
え? と思って顔を向けると「別に」と逃げるように風呂場へ。
掃除機をかけながら、なんでだろう、涙が出そうになる。聞こえないふりしたけど、ちゃんと聞こえたよ。
あの「うまかった」の一言が、私の一日を救ってくれる。
明日もまた、日の出みりんの照り焼きにしようかな。また同じのいれた!って怒られるかな?
お母さん、もう少しお弁当作り頑張ってみるよ。野球頑張れ!そしてこれからもよろしくね。

四畳半で囲んだ青春の食卓
rakuzoさん


ナレーション
古川 慎さん
高校を卒業し、大学に通うため京都に下宿することになりました。そこで母親の勧めで初めて買いそろえた調味料が、地元で馴染みある日の出「新味料」と「料理酒」、ヒガシマルの淡口しょうゆでした。ワンドアの小型冷蔵庫には、いつもこの3種類がありました。これらを持って、下宿の土間にあった共同の炊事場で自炊をしたのを思い出します。
お金がなかった学生時代のこと、レパートリーは少なく、野菜炒めか鶏肉の肉じゃがに卵かけご飯が定番。炒めものにも煮物にも欠かせない調味料でした。土間なのでエアコンもなく、夏は汗だく、冬は足元から底冷えを感じながら料理してました。出来上がった料理は、2階にある四畳半の部屋まで運んで、こたつテーブルでテレビを見ながら食べました。時には料理のにおいに誘われてきた友人と、酒を飲みながらワイワイと。青春の思い出です。

「みーちゃん専用」おやつの味
とぺさん


ナレーション
古川 慎さん
日の出の本みりんは母がずっと使っていてそれに倣うように私も愛用しています。毎日の料理に欠かせないものなのですが私は日の出本みりんを見るとつい笑ってしまうんです。
娘が5歳になったくらいから料理やお菓子作りに興味を持ち始めちょこちょこお手伝いしてくれるようになりました。小さな手で、ぶきっちょながらも頑張る姿が可愛くて、教えるのは大変だけど私にとっても大好きな時間です。そんな中、日の出みりんからのメルマガで本みりんを使ったスイーツが紹介されていて作ってみることにしました。いろいろある中で選んだのはマーラーカオ。グルグル混ぜるだけなので私は助手に徹してほとんどを娘に任せてみました。順調に材料を混ぜていく娘。が、本みりんの番になったところで事件は起きました…。本みりんをよく使う我が家では1リットルサイズを使っているのですがそれは娘には重すぎたんです。計ろうとした瞬間にグラっと手元がぶれて混ぜたボウルの中にドドドっと本みりんが入りました!
「どうしよう…」と涙ぐむ娘に「大丈夫大丈夫!大さじ2、これくらいだよ!すごいね!ちょうど入れれたんじゃない?バッチリよー!」とすかさずフォローを入れて、明らかに本みりんを入れすぎた生地を蒸してみました。
蒸しあがるまでのドキドキ感ったらなかったです。
幸いにも出来上がったものはふっくら膨らんで美味しそう!
しかも、これはきっと多めにいれた本みりん効果なのですがしっとり甘くてとっても美味しかったのです!
「これ、うまいなー!」と食べる夫に「私が作ったんだよ!ね、ママ!」と自信満々な娘。
さっきまで泣きそうな顔してたのに得意げになっちゃって。
娘を笑顔にしてくれた本みりんの偉大さに感謝です。
そして現在我が家では本みりんで作るマーラーカオは娘の得意料理で定番おやつになっています。
ひとつ違うのは1リットルのほかに娘専用300mlの本みりんを用意したこと。
日本広しといえど「みーちゃん(娘)専用」とシールの貼られた本みりんがあるのは我が家だけじゃないでしょうか。
これが可愛くて面白くて私はつい、本みりんを見ると笑ってしまうのです。
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私の人生の味方は減塩ゆずポン酢
赤とんぼナンバーワンさん
エピソードを読む -
祖母の思い出のレシピ帳
クローバーさん
エピソードを読む -
家族をつなぐ、すき焼きの味
ぬくさん
エピソードを読む -
母の思い出のお屠蘇とスパゲッティ
BURUさん
エピソードを読む -
母の口癖、“日の出みりんさん”
匿名
エピソードを読む -
小さな台所で生まれた大きなご馳走
匿名
エピソードを読む -
海外で見つけた、日本の味
Hironaさん
エピソードを読む -
調理士さんとの再会がくれた日の出との縁
ちゅんさん
エピソードを読む -
母から受け継いだ、ぶりの照り焼き
さきいかさん
エピソードを読む -
味噌とみりんに込められた義母の愛情
中野美帆さん
エピソードを読む -
日の出マークに思い出す、小さな幸せ
エンディさん
エピソードを読む -
肉じゃが一皿で思い出す、家族と祖母の味
匿名
エピソードを読む -
一人暮らしで疲れた私を救った、母の照り焼き
匿名
エピソードを読む -
みりんを飲んだ夫と、笑いあった夜
匿名
エピソードを読む -
ジューシーなハンバーグの秘密
わくいさん
エピソードを読む -
甘くて温かい、私の思い出のぜんざい
sorさん
エピソードを読む -
受け継がれる味、金目鯛の煮付け
ひつじの子さん
エピソードを読む

私の人生の味方は減塩ゆずポン酢
赤とんぼナンバーワンさん
それは突然やって来ました。62歳まで元気の塊と若々しさの象徴と言われ、海外を中心に激務に励んでいた私がある日通例としていた健診で異常が見つかりその後白血病との診断を受けました。1年近い闘病の末何とか寛解しました。
しかしその後様々な後遺症に悩まされました。その中のひとつが腎不全です。次第に検査数値が悪化し、食欲も落ちて来て酸味のあるものは食べられたのと減塩が必須だったので他社の減塩ポン酢を使っていました。腎不全はその後も進行し3年前遂に透析患者となりました。食欲は透析開始後旺盛となったのですが、今度は減塩に加え体重制御とカリウム、リンの制限が必要になりました。
そんなときネットで日の出の糖質オフ減塩ゆずポン酢を知り、早速使ってみました。味も美味しく、他の調味料があまり使えない私にはうってつけでした。減塩に加えて糖質オフで体重管理にもよく、おまけにカリウム、リンの含有量も多くなくまさに一石五鳥です。今年で喜寿を迎えましたが、健常な友人達にひけをとらないアクティビティを楽しんでいます。先日夢のなかで偉いお坊様が人生100年時代、90まで悪行を重ねても10年善行を行うチャンスがあるぞと言われました。私も残り少ない余生を少しでも社会に貢献していきたいと思います。そのための味方は減塩ゆずポン酢です。

祖母の思い出のレシピ帳
クローバーさん
昨年亡くなった祖母。
祖母が毎年お正月に作ってくれる『がめ煮』が大好きで、みんな「がめ煮」を目当てに集まるほどでした。
四十九日も無事に終わり一息ついたある日、祖母の部屋の片付けをしていた時のことです。
見たことのあるメモ帳が目に入りました。
料理好きの祖母が書きためたレシピ帳。
くたびれたメモ帳にしっかりとした字。懐かしいなと思いながら、ふと「がめ煮」の作り方が気になりページを探し開いてみました。
『がめ煮』
(材料) かしわ、人参、里芋、椎茸、こんにゃく…出汁、砂糖、酒、醤油、日の出みりん…
"あー! 昔買い物を頼まれて、別のみりんを買ったとき怒られたことがあったなぁ"
祖母の料理で使うみりんは、日の出みりんが基本だったのです。
苦い思い出が蘇ると同時に、祖母らしさを感じるレシピ帳に笑顔がこぼれました。今度は私が作るからねと、約束し、仏壇に手を合わせました。

家族をつなぐ、すき焼きの味
ぬくさん
1月3日は祖母の誕生日。
三が日ということもあり、毎年祖母の家に親戚が集まり、新年会兼誕生日会を開催していました。
その際必ずと言っていいほど出ていたのが祖母の大好物の「すき焼き」でした。大きなお鍋にたっぷりの牛肉、焼き豆腐、しらたき、ネギ…。主役のはずの祖母が手際よく作るそのすき焼きは、甘辛い割り下の香りが広がって、寒さも吹き飛ぶような温かさを感じたものです。祖母がこだわっていたのが「日の出みりん」でした。
当時みりんがなんだかわかっていなかった私に「これを使うと味がまろやかになるの」と言って、割り下にたっぷり加えていました。
大人になって祖母の味を再現したくて真似してみたのですが、なぜかあの味は再現出来ず…でも最近、子どもが「このすき焼き、すごくおいしい!」と言ってくれたんです。
その言葉を聞いて、あの日の団らんの光景と祖母の笑顔がふっと蘇りました。
やっぱり、“家族をつなぐ味”ってあるんですね。

母の思い出のお屠蘇とスパゲッティ
BURUさん
私の母は、昭和元年生まれ、生きていたら100歳です。90歳でなくなった母は、母1人で教員をしながら育ててくれました。母はとても料理上手で、ほんとに何でも美味しく食べていました。
お正月の御節は、我が家にとって一大行事の1つで、手伝いをしながら、私の家族も毎年、お正月は家族でお屠蘇から、御節まで手作りでしています。
家のお屠蘇は、いつも、変わっていると言われます。私は生まれた時からなので、普通に思っていました。お屠蘇は、家では、みりんを使います。みりんの中に屠蘇の素をいれる甘いお屠蘇です。お正月になると、日の出みりんが、台所に並んでいます。みりんと言えば我が家のお屠蘇を思い出します。90歳で亡くなる前、もう、歩く事も出来ない母を、家で介護する事が叶い、お正月を迎えた時にお屠蘇を屠蘇器に少し入れて口に持って行くと、本当に嬉しそうに私を見て、私のお屠蘇やね!と言う優しい顔で笑ってくれたのを思い出します。一度、地方で、高価なみりんを買い、お正月にお屠蘇にしましたが、私のお屠蘇で無かったので、とっても残念でした。それから、我が家では、お正月は、日の出みりんを使っています。もちろん御節、煮物全てにです。
もう一つ直伝は、お弁当にスパゲッティを入れて欲しいといったら、少し甘めのスパゲッティで、学生の時の懐かしい味です。結婚して、お弁当を作る為に、母に聞いたのですが、みりんを入れて甘めにしているのだと…。
我が家の大切な調味料であり、母の思い出の味です。母との思い出を聞いて戴けてとても嬉しいです。
ありがとう。

母の口癖、“日の出みりんさん”
匿名
何気なく応募はがきのコーナーで「日の出の想い出」が目に入り あ~なつかしいと・・・
若い頃、母の作ってくれる料理がおいしくて、仕事(理容師)しながら、時間ができるとキッチンに入り、作っている姿を思い出します。
食卓に並ぶ料理は、いつもピカピカ光っている煮物が多かった。食品サンプルみたいな時も。(少しおおげさですが)甘くてつややかで、友だちの家のとは違うなと。なぜと聞くと、母が「みりん」だよって。これがいい照りが出るんだよって。
横から仕事を終えた父が、焼酎(酒)で割ると旨いんだよって。
ふ~んって思って、「みりん」ねえ~そうなんだと。「日の出」?へえ~って。
結婚してから、煮魚、筑前煮と、みりんを忘れず使って、いつもおいしそうねって義母に言われて、すごくうれしかったことを思い出します。
母の口癖...「みりん」を入れる時、「ここで日の出みりんさん登場」「う~んいいね」って言ってました、いつも!
子供の頃、人の名前かと思って、弟と変なのって笑って。
私も68歳になり、母と同じ事を心の中でどうしても言ってしまう。「日の出みりんさん」って。
この企画がなかったらすっかり忘れてました。母の事を思い出し、とても嬉しくなりました。

小さな台所で生まれた大きなご馳走
匿名
"ごった煮のご馳走”
今考えると牛肉を沢山入れて贅沢に食べさせてあげれればどんなに喜んだかと思うのです。
8畳と3畳の木造アパートに住まいを構えて半年の時でした。
「キョウコオ~ いるが~~い」
1畳程の台所で夕飯の支度中に外で父の声が・・・
「あれっ!どうしたの?」
長男の出産予定日を2ヶ月後の2月というお腹をかかえて、ガタガタとガラス戸を開けると、父と兄が肌を突き刺す風が吹くうす暗い中、肩をすぼめてニコニコしてる。秋田の実家からトラックを運転して東京の用事を片づけに来た帰りだと言う。
「ビックリだよう。まずまず寒いから入ってよ」
「いんやあ、キョウコの顔だば(だけ)見で けえる(帰る)つもりでよ」と。申し訳なさそうに帽子で作業着をはたきながら長グツを脱いだ。
「なんか食べれるかな?」
「せっかくだから休みがてら ちょっとでいいから何か少し食べてってよ」
ついつい言ったはいいけど、すぐ出せるのはこれといって何もない。冷蔵庫を覗き、大鍋にありったけの肉類と野菜、キノコを砂糖、ショウユと日の出みりんと酒をたっぷり入れて、すき焼き風のごった煮の急ごしらえ。
小さな食台にあぐらをかいて囲み、ウメェ、ウメェなあと、すぐ汁だけになった。食べっぷりを見てると、残ってもいいからともっと食べてもらいたくなった。
「ごはんもう1杯ええかな?」
悪そうにドンブリを差し出す父さんと兄さん。追加でイカや練り物、玉ねぎ、根菜、あるもの全部で同じ味つけだったが、それも全部食べてくれた。驚くくらい食べてくれた。私は嬉しかった。
田舎に帰省すると忘れずに言うのです。
「京子んどこで たいしたうめえもんをごちそうになったよ。すんげ(すごく)うめがったなあ(おいしかったなあ)」と。
あの時の父と兄にとって体が暖まりたっぷり食べれた事が何よりのごちそうだったのではと、ありがたく言われるたびに私は恥ずかしくなるのです。

海外で見つけた、日本の味
Hironaさん
海外在住中、アジアのスーパーで偶然「日の出」の酒とみりんを見つけたときの喜びは今でも忘れられません。長期の海外生活では日本食が恋しくなることも多く、煮物や照り焼きなどを作って食べられることが心の支えになっていました。
日の出の商品を使って、日本の味を再現し、他国籍の友人たちにも日本食を振る舞いました。みんなが「美味しい!」と喜んでくれ、日本の味が海を越えて、笑顔の輪を広げてくれました。
いつでもどこでも、変わらぬ安心を届けてくれる「日の出」に感謝しています!

調理士さんとの再会がくれた日の出との縁
ちゅんさん
私は、結婚するまで実家で過ごし、母が作る料理に、料理酒とみりんが使われる事はありませんでした。
子どもが生まれてしばらくして、学校に勤める事になり、子どもたちと一緒に給食をいただいたり、食育について触れたり勉強する機会も増えました。
学校の調理士さんに中学卒業以来13年ぶりに再会したのがきっかけで、料理には料理酒とみりんが決め手だと知る事ができました。給食にももちろん使われています。調理士さんのおすすめは、使いやすくリーズナブルな日の出みりんと料理酒でした。
日の出みりんと料理酒を使うようになってからは、家族がモリモリご飯を食べてくれて、自分も料理が好きになりました。にわかに、母にもすぐ、みりんと料理酒の使い方を教えて、日の出みりんと料理酒は手放せない調味料になりました。
今では、母の料理の腕の方が、グングン上がりレパートリーも増えました。母の面子を守る事ができました(笑)
料理が楽しくなり、子どもたちも健康に成長してくれるのは、調理士さんと日の出みりんさんのおかげです。ありがとうございます!

母から受け継いだ、ぶりの照り焼き
さきいかさん
料理で頻繁に使う、日の出みりんや料理酒を見ると母との料理の時間を想い出します。
私は幼少期から母が作るぶりの照り焼きが大好きで、よく母にリクエストしていました。あまりにも頻繁に作ってくれとうるさいので「それなら…」と初めて教えてくれた料理がぶりの照り焼きです。
日の出のみりん、料理酒を使って作った初めての手料理はとてもやさしい味で白米によく合いおいしかったのを覚えています。今まで母が作ってくれた料理が自分にも作れた嬉しさと日の出の商品を使っておいしく作れたという料理作りへの自信がついた想い出なんです。
この体験以降、大人になり一人暮らしを始めてからもみりんと料理酒は絶対に”日の出”と決めています。日の出のみりんと料理酒は私が料理をおいしく作るための魔法みたいなものだと思っています。

味噌とみりんに込められた義母の愛情
中野美帆さん
26歳、結婚と同時に夫の両親との同居が始まりました。共働きのうえに料理もろくにしたことのない私に、お義母さんは「仕事大変だし、私らが弱った時はお願いね」と言って、いつもみんなの夕ご飯を作ってくれて帰宅後の私はまるで娘のように「いただきまーす」と甘えていた嫁でした。
その義母が、冬になるとよく作っていたメニューが「ブタ白菜」🐷🥬
土鍋に手作りで調合した赤味噌を溶き、ささがきごぼうと豚肉と白菜のみのシンプル鍋料理。愛知ならではの赤味噌がくたくたの白菜と豚肉に絡んでとっても美味しい。最後はその味のしみた赤味噌を白ご飯にかけて流し込むのがお約束。夫は子どもの頃から食べていたというのでどうやらこの家のオリジナルメニューのようです。
数年して子どもが誕生し、仕事を辞めた私は義母と台所に立つようになりました。料理のりの字も知らない私が義母から教わった料理のひとつがあの「ブタ白菜」です。
ブタ白菜のためにはまず基本の万能味噌を作ります。その万能味噌はブタ白菜にとどまらず、味噌カツ串カツおでんに湯豆腐…愛知ならではの赤味噌メニューには必須の「うちの味噌」。無くなりそうになると一度に大量に作り保存し、一年中切らしたことがありません。
義母に教わったレシピ、必要なのものは「味噌とみりんと砂糖」そして驚くことにそれらは全てメーカー指定でした。
ある時、嫁は気にせずに別のメーカーで作ったところ、家族に「なんかいつもと違う」とあっさり見破られてしまったものです。
義母の指定したみりん、それは、「日の出本みりん」でした。
その義母は、昨年5月末に93歳で亡くなりました。私にとっては実の母より長く共に過ごした「母」にいろんなことを教わり豚白菜もしっかり受け継ぎ、もちろん娘にも伝えていく我が家の味となっています。
本文と別に余談ですが…この日の出さんのエピソード企画に本当に驚きました。実話として「日の出のみりん」と義母から伝授していたので、我が家のお話をメーカーの方にお伝えできる機会をいただき本当に嬉しく思っています。ありがとうございました。これからも使い続けていきます。

日の出マークに思い出す、小さな幸せ
エンディさん
婚して17年。日の出マークを見ると、主人とはじめて買い物に行った時を思い出します。料理酒とみりんを購入しようと調味料売り場へ。主人が「ウチはずっとコレだな。」と日の出みりんと酒を手にしていました。私も「ウチもウチも〜!」と即カゴへ。ささやかな事ですが、違う街で育った私たちが、“いつもの”が同じだった事がとても嬉しくて、今でも覚えています。これも長年愛されるメーカーさんだからこその、あるあるかもしれませんね。これからも“いつもの安心感”の調味料を使わせていただきますね。

肉じゃが一皿で思い出す、家族と祖母の味
匿名
定年後、時間的には余裕があるのだが、大したこともせず、毎日同じような一日を送っている。妻は働いていて、料理もしてくれる。
ある日、疲れ切って帰ってきた妻を見て、「明日の夕飯は俺が作るよ」と思わず言ってしまった。妻は「大丈夫?」と不安げだったが、「なーに、肉じゃがぐらいなら、俺にも作れるよ」と言って作ることになった。
その日は、妻が仕事に出かけてから、妙にやる気が出た。このやる気は、久しぶりに、「目的」が持てたためだろうか。一人でスーパーに行って、肉じゃが料理の材料をたくさん買う。古くなった料理本を開いて、肉じゃがの料理の作り方をじっくり読む。棚にある調味料を探す。そこには、「日の出みりん」があった。「おばあちゃんがいつも使ってたやつだ」。ふと、優しかった祖母が作ってくれた料理が思い出された。「あの味がだせたらなぁ」。思わずひとりごちた。
料理の最後の段階でみりんを入れ、じっくり煮込んだ。味見をする。「この味、この味だ」。なぜか、懐かしい味に再会したようだった。帰宅した妻が、「うわー、美味しそう」と言って、たくさん食べてくれた。「これからも作ってね」と言った。「一事が万事だね」と妻に言って、二人で笑った。内心、料理をするのも悪くないと思った。

一人暮らしで疲れた私を救った、母の照り焼き
匿名
7年前の春、新社会人になりました。
はじめての一人暮らしに、ずっと憧れていた職業への就職。キラキラした理想を描いていましたが、現実は厳しく、残業続きで毎日レンジでチンできるものばかり食べる日々。憧れていた職に就いたのに辞めることばかり考えていました。
休みの日に実家へ帰ると、げっそりやつれた私を見て驚く母。その日の晩御飯は私の大好物の「日の出みりんを使った照り焼きチキン」でした。つやつやの照り焼きとほかほかのお味噌汁、料理から伝わる母の愛情を感じ、食べながら大号泣しました。いっぱい食べてたくさん話を聞いてもらったおかげで「もう少し頑張ってみよう」と踏んばることができ、今でも楽しく仕事を続けています。
月日は流れ、昨年息子が生まれました。キッチンには日の出の調味料。私も美味しい料理で愛情を伝えられる母になりたいな。

みりんを飲んだ夫と、笑いあった夜
匿名
お酒の大好きな夫は、おつまみにもうるさく、いつもお料理には気を使っておりました。
ですから、みりんや料理酒などは欠かすことなく、無くなる前には必ず補充しておりました。あさりの酒蒸し、笹で包んだ甘鯛の酒蒸し、水を使わず料理酒のみで炊き、みりんや醤油で味付けた柔らかい豚の角煮等、我が家では日の出の本みりんと料理酒は無くてはならないものでした。
ある日、いつものように夕飯の金目鯛の煮付を作っていた時の事です。味付けに調味料を順番に入れていくと、みりんがわずかしか入っていない事に気づきました。前日の豚の角煮の時は入っていたのに、何故かしらと首をかしげるばかりでした。
帰宅した夫に、
「あなた、みりんが無くなっているの。」
と尋ねると、振り向き様に答えました。
「昨日コップに入れて少し飲んだのはみりんなのかなあ。豚の角煮とぴったりあっていてうまかったよ。」
「えー、みりん飲んじゃったんだ。」
と二人で顔を見合わせて大笑いでした。接待で遅く帰ってきた夫は、ひどく酔っていて知らずにみりんを美味しく頂いたのです。
今でも、日の出本みりんを見る度に、あの時の夫を思い出します。
「うまかったよ。」
と、満面の笑顔で振り向く夫の顔を。

ジューシーなハンバーグの秘密
わくいさん
日の出さんの料理酒と本みりんには、一人暮らしをはじめてから今日に至るまで大変お世話になっております。冷蔵庫に必ずいてもらう調味料です。
料理酒にまつわる想い出をお話しさせてください。現夫とのお付き合いをしているときの話です。
当時は感染症の兼ね合いで、外ではなく私の一人暮らしの部屋に実家暮らしの彼を招いてデートをしていました。専らお昼とお夕飯を一緒に食べて、一緒にゲームをしたり映画を見たりして過ごしていました。
ハンバーグを作った時のことです。3度目くらいの頃でしょうか、彼から「やっぱりこのハンバーグ、すごくジューシーで柔らかくて美味しい。親の作るハンバーグよりも好き」と褒めてもらいました。
私の作るハンバーグは、中火で片面を焼いて焼き目がついたらひっくり返し、料理酒を大さじ1ほど入れて弱火で7〜8分蒸し焼きにするのです。
料理酒のおかげで、ジューシーでやわらかく、旨味のあるハンバーグが作れるのです。
結婚をした今でも、夫に「今夜何が食べたい?」と聞くと「ハンバーグ!」と言われることが多いです。得意料理は何?と聞かれた時に、ハンバーグと胸を張って答えられるようになりました。
ハンバーグ以外にも、茄子や豚バラの梅しそロールを蒸し焼きにするときも大活躍の日の出の料理酒。これからもお世話になります!

甘くて温かい、私の思い出のぜんざい
sorさん
うちのおばあちゃんは、日の出本みりんのヘビーユーザーです。この想い出は、私が小学生の頃のお話です。
おばあちゃんの家は、自宅の近くにあって、学校の帰りにちょっと寄るのがいつも楽しみでした。
ある冬の日、身を切るような寒さのなか、おばあちゃんの家の近くまで来ると、ふわっと甘い香りが風に乗って漂ってくるのです。それは、おばあちゃんが作ってくれた、あったかいぜんざいの香りでした。
おばあちゃんは、ぜんざいを作るときはいつも"日の出の本みりん"を使うのがこだわりで、「これがええ味出すんやで」とよく言っていました。
「おかえり〜、ちょうどええタイミングで来たな〜」
学校帰り、おばあちゃんの家の玄関の扉を開けると、いつものように、にこっと笑って出迎えてくれたおばあちゃん。
「学校の帰りに寄るやろ思って、ぜんざい炊いといたんよ。」
大きな鍋でじっくり煮込んだ小豆をゆっくりと混ぜながら見守るおばあちゃん。その横顔は、どこか安心感があって、見ているだけで心が和らぎました。
ほんの少し加えられた本みりんのやさしい甘さが、ぜんざいに深みを与えてくれて、ただ甘いだけじゃない、なんとも言えない奥行きのある味わいになるんです。
「このみりんがな、ぜんざいを一段と美味しくしてくれるんやで」
そんなふうにおばあちゃんは、よく話してくれました。
香ばしく焼いたお餅をぜんざいに入れると、次第にとろりととろけて、口に運ぶたびにお餅の香ばしさと、ふわっとほんのり広がるみりんの香りと、引き立てられた小豆甘さ。小豆がたっぷり入っていて食べごたえがあり、お腹も満たしてくれて、体の芯から温まるような味わいです。
「できたで、温かいうちに食べや」
おばあちゃんが、そっと差し出してくれたぜんざい。ひと口食べた途端、温かさと優しい甘さが口いっぱいに広がって、子どもながらに『おばあちゃんがいつも使うみりんってすごいな』と感じたのを、今でもよく覚えています。
「おばあちゃん、美味しい」
私がそう言うと、おばあちゃんは静かに、にこっと笑ってうなずいてくれました。その笑顔がとても温かくて、言葉にしなくても、すべて伝わったような気がしました。
おばあちゃんがいつも元気ですぐ近くにいてくれたから私は、いつでもあの温かいぜんざいを食べることができました。おばあちゃんのこだわりである、日の出の本みりんの深い甘さが染み込んだあの味は、ただのおやつじゃない、私の心まで温めてくれる、そんな特別な味です。
あの頃のぬくもりに満ちた記憶は、今でも色あせることなく私の中に残っています。
そして、大人になり結婚して家を離れましたが、今でも実家に帰ると、もう90歳になるおばあちゃんが「小さい頃から好きやったやろ〜」と、時々あのぜんざいを作ってくれています。
もちろん、今でも"日の出の本みりん"がこだわりのようです。
「他のも時々使うけど、やっぱりこれでないとしっくりこやん!」とおばあちゃんは言います。
私の子供達も「ひいばあのぜんざい美味しい!」と喜ぶ姿を微笑ましく見られる幸せ、変わらない味をまた食べられる幸せがありがたいなぁとしみじみと思う日々です。
今回のキャンペーンのおかげで、幼かった頃の記憶をたくさん思い出すことができました。自分の子供たちとも、私の両親とも、私が幼かった頃の想い出話やおばあちゃんのこだわり本みりんの話もたくさん語り合い、とてもいい時間を過ごせました。ありがとうございました。

受け継がれる味、金目鯛の煮付け
ひつじの子さん
私は自他共に認める、昭和のおばあちゃん子です。
祖母は親戚からも頼りにされる世話好きな人で、多趣味。特に裁縫は、自宅で洋裁や革細工を教える教室を開くほどの腕前でしたが、料理は苦手で、いつも手のかからないものを食卓に並べていました。
祖父が魚好きだったので、刺身と焼き魚が交互に出るのが夕飯の定番でしたが、月に1度ほど、祖母が手をかけて「料理」していたもの…それが「金目鯛の煮つけ」です。
甘くこっくりと煮込まれた、赤くて目の大きな魚。丸ごと皿に盛られて出てくると、見るだけでドキドキする…この甘じょっぱい煮魚は祖父と私の好物でした。煮魚ってどうやってつくるの?と聞くと、手間はそんなになくて、時間があれば美味しくできる、コツはみりんをたっぷり使うこと、と教えてくれました。
祖母が亡くなった後、家の建て替えのために実家のキッチンを整理した時、大容量なシンクの下から、10本近くの日の出本みりんの未開封ボトルが出てきて驚きました。晩年の祖母は認知症を発症し、私が社会人になった後は、施設で過ごしてもらう時間が増えました。最後の7年間、火を使った料理をすることはもうなくなっていましたが、買い物は好きで、外に出ると馴染みのものをふらりと買ってきていました。
祖母がつくる、みりんを使った料理は、あの金目鯛の煮付けだろう……。その時すでに他界していた祖父が、煮付けを喜び、大きな目玉まで取り出して食べていた記憶が一気に蘇りました。また作らなくちゃ、みりんを切らしてはダメだわ…そう思って度々買っていたのかな、と思って泣いてしまいました。
現在、私も小学生の男子を育てる母となり、日々増していく子どもの食欲と向き合っています。
息子の大好物は、日の出みりんと醤油を2:1で煮詰めたタレで作る甘辛い豚丼。玉ねぎと椎茸もたっぷり入れて、栄養と食欲を同時に満たしてくれるご飯がすすむメニューです。まるまる1匹の金目鯛は、普段なかなか手の届かないお値段なので、息子はまだ切り身の煮付けしか食べたことがありません。いつか、祖母のようにお頭付きを買って、ぎょろっとした大きな目に落とし蓋をして、醤油と酒、たっぷりの日の出みりんで煮てあげたい。きっとびっくりするだろうな。日の出本みりんは今、我が家の小さなキッチンのシンク下にも常にある、祖母から受け継いだ私の味の型紙です。